そこは、カラフルな立方体がつくりだす地下迷宮だった。
青い空が見えているのに地下迷宮というのもおかしい気はするが、まあいい。そういう設定ということにした。立方体の高さは背たけの倍以上ある。ジャンプしてもてっぺんに手が届かない。配置は乱雑で、あいだにできた路地は屈曲し見通しがきかない。迷宮と呼ぶにふさわしい場所である。……空は邪魔だけれど。
そういえば、中世の城塞都市は、敵の侵入を防ぐためにわざわざ細く曲がりくねらせてあったと兄さまが言っていた。ここもそんなものなのかもしれない。兄さまは博識だ。
即席の剣と盾を構え、立方体の隙間にできた狭い道をずんずんと進んでいく。草むらで行き止まりになった。枯れてカーキ色になった草が膝の高さまで密生している。踏み込んだ。ささくれ立った先端がむきだしの脚をくすぐった。こそばゆくて気持ち悪かった。
こういうときには剣を使うのだっけ。枯れた草にむかって垂直に剣をふるってみる。がさりと音がして、乾燥した茎が散る。金属の塊は重い。何回か振っていると手がつりそうになったのでやめた。残念ながらここは行き止まりだ。振り返る。陰になった場所につぼが置いてあった。きっとこれは、割るとアイテムが出てくるつぼだ。ラッキー。行き止まりには福がある。
ところが、いくら力を込めてもつぼは持ち上げられなかった。背景の一部なのかもしれない。期待したのにがっかりだ。なんてできの悪いアトラクションなんだろう。ぶつぶつ言いながら引き返した。
左手の法則に従うことにして、来た道と反対方向へ歩く。ひとつの立方体は穴が開いていて、中をのぞくことができた。どうも、立方体の側面についている潜水艦の飾りみたいなものはドアだったらしい。無人の室内で、3台の洗濯機がうんがうんと動いていた。舞台の裏側を見てしまったようで居心地が悪い。早く正規のルートに戻らないと。こういうとき、ななほしがいてくれたら便利なのだけれど、どこかに行ってしまった。まあ、どうせななほしはアトラクションに入れてもらえないのだが。
もちろん、いまいるのは荒川の中州であり、アミューズメントパークではないことはわかっている。右手に握っているのはゆうしゃの剣じゃなくて包丁の進化形っぽい刃物だし、左手にぶら下げているのは盾じゃなくてまないたの切れっぱしだ。コンテナ状の立方体はおそらく人が住んでいるところだということも理解している。理解はしているのだが、ときどき、目の前の現実と頭の中で発生した設定の区別がつかなくなることがあるというか、むしろ積極的に設定のほうを重視しなければいけない気分になることがあるのだった。
クラスの子に聞いてみても、そういう気分になる子は他にいないらしかった。なんで、と聞かれてもわからない。なんでそういう気分にならないのかをこっちが聞きたいくらいだ。こういう自分を、母はたいへんに心配しているようだし、兄さまは難しいことを考えているっぽい。だけれど、そういう区別がつかなくなる状態は嫌いではない。楽しいから。
心が自由であるのはいいことだとお医者さんは言っていた。脳が機能解析され、肉体の一部となることで現代人はますます動物に近づいてしまったけれど心は依然として自由だとか、空虚で無意味でやくたいもないことに熱中できるからこそ人間は人間なんだとか。よくわからないがそういうことだ。詳しくはそのお医者さんに聞いてほしい。
それにしても、エンカウントがなくてつまらなかった。地下迷宮といったらモンスターをばっさばっさ倒すところだろうに。このアトラクションはぬるすぎる。責任者が出てきたら兄さまに説教してもらおう。
しばらく行くと、ぬかるんでいるところがあった。沼地のようだ。
アミューズメントパークに何度も通っている男子が自慢していたことを思い出した。たしか、毒の沼地のどこかにゆうしゃのしるしが隠されているのだった。伝説では、そのしるしを長老か誰かに渡すと、魔物の島へ渡るための橋をかけてくれるそうだ。もちろんそれはアトラクションの話だ。しつこいようだがそんなことはわかっている。だけれど、魔物の島から脱出して兄さまのところへ行くときもその橋は必要なのではないだろうか?
うん、いいかんじになってきた。冒険に宝物はつきものだし。
ぬかるみを、靴の底で探りながら進む。そろそろと。息をつめて。お気にいりの靴が泥まみれになったが平気だ。ゆうしゃはそんなことを気にしない。
つまさきに、こつん、という感触があった。泥の中から角ばったなにかが姿をのぞかせている。指先で、そうっと、つまんでみた。板ガムの半分ほどの大きさのカードだ。泥のにおいが鼻をついた。目をこらした。古いメモリーカードだった。
ゆうしゃのしるしも電子化の時代なのだった。せちがらい世の中になったものだ。近くの葉っぱで泥をこそぎ落とし、ポケットにしまった。すると、前方からBGMが聞こえてきた。この迷宮に入ってはじめてのBGMである。足音をたてないように近づいた。かすかな衣ずれの音がBGMに混じっているのがわかった。
やっとモンスターか。待ちかねた。
立方体の陰に身をひそめた。剣をちょっとだけ突き出し、側面に向こう側を映してみる。うまく映らない。映画みたいにはいかないものだ。顔を出してのぞいてみた。ゴーグルをつけた人物が、BGMに合わせて奇妙な踊りをおどっている。ダンスにしては動きがゆるやかだし、かといって太極拳の類にも見えない。いかにも魔物っぽいステップだ。まちがいない。
鈍色に光る包丁の化け物を頭上に構え、なにも知らず踊る人影に背後から忍び寄った。

若い者はいい。ハナ先生の執務室に入っていく史帆の後ろ姿を見ながら、そう思った。
芝川の橋を越えると、そこはもう研究施設の敷地内だった。






