ハナさんが好きだ。三度の飯より好きだ。虎の子のインド国債より大切に思う。
彼女の存在は、世界のなにものにも、代え難い。
ハナさんは素晴らしい。なにより笑顔が最高だ。ちいさな顔が微笑すると、すうっと切れ込んだ頬にえくぼができる。目を線にして笑ったときだけ出現する2本のしわもいい。笑い声はピアノのラの音だ。実に耳に心地好い。ひたいにかかるほつれ毛も、たまらない。
若竹の緑をどこまでも水で薄めた色に塗られたカウンセラー室で、ハナさんはいつも椅子に腰かけている。ボーンチャイナのカップに入った薄茶色の飲み物が森林の奥と同じ香りをたちのぼらせている。窓から射し込むやわらかな光は、ハナさんの白衣に黄色と灰の模様を描いている。
ハナさんが話を聞いてくれるのは週に1度だ。そう決まっている。
たいへん残念なことに、皆平等に週1度である。
なんでも高齢適応支援福祉士という資格をとった先生なのだそうだ。えらい人なのに、彼女は皆に「ハナさん」と呼ばせている。ハナさんは気さくだ。もちろん誰にだって分けへだてなく笑顔を見せる。それが職業だから。彼女の笑顔は万人のものなのだ。それだけの価値がある。独占はできない。しかたのないことだ。だけれど、丹念に観察すれば、彼女の笑顔が、一人ひとり異なっていることがわかるはずだ。誰にもで同じえくぼを見せるわけではない。それだけの慎みを彼女は持っている。
それを、小野寺の野郎。ずうずうしく横入りしやがった。
奴は許しがたい。皆も同じ意見だ。聞いたことはないがわかる。雰囲気が語っている。だいたい奴はこのケアハウスの住人ですらない。家族と一緒に住んでいて、たまに訪れるだけの異邦人だ。血の繋がった家族がいるなら、そいつらと過ごしていればいいものを、ノコノコとやってきやがって。くそ。くそ。くそ。壊れた掃除器など業者を呼べばいいのに。奴は週に何度もハナさんと話す。許しがたい。小野寺め!
だけれど、神はいたのだ。
小野寺の暴挙を指を咥えて見ているだけではなかった。ある日、ニュースでやっているのを見た。
2045年11月25日の今日、世界にあるすべての暗号は解かれるという。そういう理論をある数学者が公開したというのである。ニュース番組のコメンテーターは、預金はだいじょうぶなのかとか、電車や飛行機に危険はないのかとか、そんなことばかり心配していた。一緒に番組を見ていた低能どもも、金の心配で頭がいっぱいのようだった。愚か者め。そんなことにしか頭が回らないのか。金と危険などどうでもいいだろうに。
暗号が破れるということは、PSPカードの電波を受信し居場所を記録するすべての電子機器と、監視カメラの映像を改竄できるということだ。犯罪に使えば完全なアリバイが成立する。そこにいた者はいなかったことになり、あるいはいなかった者がいたことになる。その場所でやったことはなかったことになり、やらなかったことがやったことになる。そういうことが起きる。
人々は、自分の存在そのものを自由に書き換えることができるようになる。
ちょっとした知識と、技術と……度胸さえあれば。
朝、目覚めたら、今日という日を祝福するかのように、股間のものが屹立していた。十数年ぶりのことだ。あまりの力強さに、かがまねば用が足せないほどだった。己の中に潜むDNAが猛っているのだと感じた。それは、風のない湖面のように静かで、同時に、逞しい感情だった。若い頃にはなかったものだ。10代の激情は持続させるのが難しかった。熱くなるのも速いが、すぐに噴出し、萎えてしまう。いまはゆるゆると湧き出るように衝動は続く。
老いらくの恋と笑わば笑うがいい。これは男の戦いなのだ。自然の摂理であり、なおかつ正義の執行でもあるのだ。73歳のオスと75歳のオスが、65歳のメスをかけて争う。そして、強いものが勝つ。そうやって人類は進化してきた。
だから、決めた。
今日、この日。小野寺明を殺害する。

切り株の上に、血液をレモン水でどこまでも薄めたようなキーマンティーと、焼いたゲソの切れっ端が置いてあった。





